プロフィール

皆さんこんにちは。
札幌市清田区の骨盤矯正&小顔矯正サロンの代表、佐藤かおりです。

札幌市清田区の住宅街でカイロプラクティックサロンを経営しております。
初めてこのホームページをご覧になって頂いている方は、おそらく「えっ、住宅街で!?」と驚かれていると思います。

もしくは「自宅がサロン?なんかあやし~」と言って、すでにページを閉じているかもしれませんね(笑)

しなかしながら、ちょっとでも興味を持って頂いた方は、是非とも読み進めて頂きたいと思います。

カイロプラクティックは手技で骨格を矯正する民間療法です。

私がカイロプラクティック出合ったのは、結婚してから。
子供を出産後ひどい腰痛になったときです。立っても座っても腰が痛い。あまりに痛く寝てばかりいました。そんなとき隣町にあったカイロに行き骨盤矯正を受けます。5分くらいの施術で痛みがなくなりました。

「こんなすぐに良くなるの?どうして?」驚きと喜びでカイロという民間療法に強く興味を持ちます。

「IT業界の苛酷な労働環境」

そのころ、私は人の心と体のケアをする仕事につけたらいいな…と思っていました。もちろん、そこには「きっかけ」というものが存在します。なぜ人の心と体のケアをする仕事につきたいと思ったのか?

話は、前職のシステムエンジニア(以下SEと記載)時代にさかのぼります。私が就職したのは1996年。「ウインドウズ95」が出て間もないころでした。ウインドウズの登場でコンピューターがGUI化(画像化され操作が楽になった)されたことで、世の中に出回っていたソフトもウインドウズに対応したものを。という流れになりました。

世の中は不景気で、女子大生の就職活動は「超氷河期」と言われるほど厳しいものでした。私も何度も試験に落ちました。何社受けたかわかりません。30社ほどは受けたでしょうか。

しかし不景気と言われる中で、IT業界は多くの新人を募集していました。ウインドウズに対応したソフト開発技術者を育成するためです。知り合いのコネも手伝い、なんとか就職。横浜で新生活をスタートさせます。

中小企業に就職した私は、「出向」という扱いで有名大学卒のエリートばかりが勤務する大手電機メーカへ出向くことになりました。

当時はSEは男性がほとんど。女性はとても珍しい存在でした。周囲は頭の切れる理系の男性ばかり。その中で、「女だから、田舎者だから、外注(出向社員)だから…」と見下げられるのは絶対嫌でした。

意地でも頑張りました。でも苦手なことを無理してしている感じはずっとありました。

仕事はそこそこできるようになったものの、朝早く出社して、夜遅く帰宅。出張で崩れる生活リズム。見事に乱れる食生活。コンビニ、野菜ジュース、カロリーメイトのオンパレード(笑)会社にいる時間でも仕事が間に合わず、家でも仕事をするようになりました。要は休まず頑張り過ぎてたんですね~^^;

 

「心身が崩壊寸前に」

いつしか身体から疲労が抜けなくなってきます。ストレス過多で慢性疲労の状態です。そして、明らかに異常な出来事が続けて起こります。

眠れない。手や口のしびれ。そして難聴になり始めます。ストレス解消のため食べる→太りたくないからわざと吐くを繰り返しました。

重度のむくみで顔全体が腫れあがり、二重あごになり両頬にはコブのようなセルライトがたまりブルドックのような顔になってしまいました。

他にもいろいろありましたが、明らかに身体の調子がおかしい。そして、ついには仕事に集中できなくなりました。パソコンの前にいても頭が回らないんですね。設計書を書かなくてはいけないのに、何も浮かばない。ただ座っているだけでした。

そしてふと気付くと、口が曲がっていました。顔面神経痛ということでした。これはとてもショックでした…。これ以上は働けない。

「退職届」を上司に提出しましたが、受け取ってもらえませんでした。他にも同じような症状の人はたくさんいました。うつ、過呼吸など…。私だけが特別ではないといわれました。最終的に精神的に病んでいることが周囲にばれると「弱い人間」として扱われていました。

一ヶ月仕事を休み、ゆっくりとした生活をしました。時期は5月だったと思います。自律神経系が異常になっていたみたいで寒くて寒くて。家の中ではストーブをつけ、外出時は冬のコートを着ていました。

そのとき、自分は子供のころから精神的ストレスに弱くアレルギー体質だったことを思い出しました。

小さいときから自家中毒をくリ返し小学校中学年までは学校も休みがちでした。高学年ではチックになりました。

大学生になり周囲の友人がお化粧をしたりコンタクトレンズをつけたり。おしゃれを楽しんでいても、私は香料やその他のアレルギーでお化粧もできないし、ビン底メガネ。

ものすごい縮毛だったこともあり、外に出るのが嫌になり家でスナック菓子を食べる。そして気持ち悪くなり吐く。を繰り返すような大学生活でした。

…話はもとに戻ります。

ストレスから体調を崩し、仕事を休んで一か月後。仕事に復帰しました。もちろん以前の職場はポジションを外されていたので別の現場に。

しかし、心身の不調やうつで退職を余儀なくされた方があまりに多いのに改めて驚きました。
「なぜ不調やうつで退職してしまう人がこんなに多いのだろう?」

ストレスや心の病で悩んでいる方に、もっと自分にできることはないだろうかと。子供のころからの自分の経験を生かして悩んでいる人の力になりたい。

 

「自分の役割を探す日々…そして開業」

自分の心身の状態を知ることの大切さ。そしてストレスコントロールの大切さを身をもって実感しました。

子供を育てながら、自分ができることを模索する生活が始まりました。

看護助手、医療事務管理士を経て、ベビーマッサージインストラクターとして活動。リフレクソロジストとして活動後、全身の骨格矯正の知識を深めるためカイロプラクターとなります。

道東カイロプラクティックオフィス勤務。札幌カルチャーセンター平岡にて、講師として活動。その後、エステとカイロプラクティックが融合した「美容カイロ」の技術を学び、2012年、美容カイロエステティック ベルフィオーレ を立ち上げます。

ありがたいことに、口コミが広がりとてもたくさんの方にお越し頂きました。遠いところからも、本当にたくさんの方にサロンにお越し頂きました。旧来からの知人、友人も来てくれて、とても感謝しています。

たくさんのご感想・意見を頂きました。そのたびに修正したり工夫をしたり、試行錯誤の日々でした。お客様に満足して頂くにはどうすればいいのか、気持ちよくお代をお支払い頂くにはどうすればいいのか。そればかり毎日考えていました。

そして徐々に集まり始めました。「スッキリしました~」「大満足です!」「癒されました♪」といった感想の数々。その一つ一つが私の自信になり、施術者としての着実なステップアップを意味していました。

そして、今。

自信を持ってカイロとエステをさせて頂いております(^-^)

お客様の声に真摯に耳を傾け、全力でご期待に添えるように日々活動しております。カイロとエステだけではなく、エネルギー調整やストレッチもその中に取り入れています。より高い次元でのお客様の満足・感動を得られるようにこれからも研鑽を重ねていきたいと思っています。

そして、「笑顔で前向きな生活を送るお手伝いを」させて頂きたいと考えています。基本的に陽気で、たまにボケたところもある私ですが(笑)、何卒よろしくお願いします。

☆長い文章を読んで頂き誠にありがとうございます♪

骨盤矯正・小顔矯正サロン ベルフィオーレ